TYPEFACE


2014/03/13

あのとき

東日本大震災から3年が経ちました。
震源地の東北だけでなく都内も大パニック。
余震だけでなく長野や静岡でも大きな地震が相次ぎ、
生きた心地がしなかった。


……と、聞きました。


2011年3月11日。
大学生だった青木は、春期休暇を使ってサークルの春合宿に参加していました。
地震当日にいたのは沖縄県小浜島。

小浜島は、空港のある石垣島と豊かな自然の残った西表島、
2つの大きな島に挟まれた小さな、のどかな空気に包まれた島です。
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2001年のNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」の舞台になったことから
知っている方も少なくないのはないでしょうか。


当日の14時46分、東日本が大パニックになっているなか
そんなことはつゆ知らず、ぼくたちは宿の前でビーチフラッグをしたりして遊んでいました。


そして遊び疲れたので宿の食堂に入ったのが15時半頃。
(小さい民宿だったのでほかにひとはおらず、宿の人も外出中でした)


ひと呼吸置いて、何気なくテレビをつけたとき目に飛び込んできたのは、
衝撃のあまり意味がわからない映像が伝えられていました。


ヘリコプターの空撮映像
一面の畑、ビニールハウス
……と、真っ黒なものが移動してる
火がつきながら、移動してる
あれっ、流されてるの、家じゃん
…映画?
車が走ってる…!逃げて!!

合宿自体を続けるか、中止して東京へ戻るか。
判断に迷いましたが、参加メンバーの家族や
参加していないメンバー自身、その家族全員の無事の確認が取れたため、
「いま、無理して帰っても羽田からの足がない。
 こんなノー天気なやつらが帰ったら緊急事態の邪魔になってしまう。」
という判断で、当初の予定通り20日まで合宿を続行しました。
(もちろん全員の親御さんの許可を取った上で)

沖縄でも「大変なことになった」という話題には上がっていましたが、
商店の棚には日用品も食品もいつも通りに並んでいたためか、
どうしても「テレビの向こうの話」という考えから脱することができなかったのも事実です。

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宿の前のきれいな海と、
テレビで繰り返し映される家を押し流していく濁流とを、
同じものに考えることはできなかったのです。


20日夜 羽田空港に着く直前、飛行機の小さな窓から見えた街の暗さで
「テレビの向こう」が一気に自分事になりました。


電車も地元路線はまだ動いておらず、
ガソリン不足で親は空港に来れないため、
友人の親の車に便乗させてもらい、なんとか帰宅しました。
(軽油で動くクリーンディーゼルのため、大丈夫だったそうです)


それからどんどん押し寄せてくる「リアル」にただただ驚くことができませんでした。
(埼玉の片田舎なので)長時間に渡る計画停電、デマを含むいろいろな話……


沖縄にいたときには「ポポポポーン!」や「こんにちワン!」とか言っていた自分は
なんだったんだろう、と考えることも幾度もありました。

あのとき東日本にいなかったからこそ、わかること
あのとき東日本にいなかったからこそ、わからないこと

「わからないこと」のほうが圧倒的に多いとは思いますが、
「わかること」も大事にして、これからいろいろなモノの見方・考え方を
身につけて、それを自分なりのアウトプットにつなげていこうと思います。


改めて、3年前の出来事に、謹んで哀悼の意を表します。


最後に
震災に関連して、自分がリアルに感じていたことを言葉にした結果です。
あまりに現実離れした描写のため気分を害してしまったら申し訳ありません。
ですが、これが当時の自分にとっての「リアル」でした。
ご理解いただけたら幸いです。


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次回は、3月20日頃、森田が更新いたします!
どうぞお楽しみに!


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